広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter76. 危機管理

市立芦屋病院 事業管理者 佐治 文隆

1992年は夏季と冬季のオリンピックが同年に開催された最後の年で、冬季オリンピックはフランスのアルベールビルで行われました。その前年に開催準備中のアルベールビルでスキーを楽しんだことがあります。私にとって後にも先にも一度っきりのヨーロッパ・スキー体験です。登山電車、ケーブルカー、リフトを乗り継ぎ、標高差1,500メートルをパウダースノーの雪煙を立てて滑り降りる爽快さは筆舌尽くしがたいものでした。アルプスの大自然の中、人影まばらなコースであっても、難易度別に5種類の色分けした標識が整備され、要所にレストランを兼ねた山小屋もあって裸で日光浴するスキーヤーもいるなど、本場リゾートを実感出来ました。

その「フレンチアルプスで起きたこと」が心理ドラマとしてスエーデンをはじめヨーロッパ各国の合作映画として製作され(原題Force Majeure)、数々の映画賞をとっています。舞台はフランスのスキー・リゾート、バカンスにやってきたトマスとエバ夫婦と2人の子供たちに起こった出来事です。テラスレストランでくつろぐ一家に、スキー場の安全のために起こした人工雪崩が予定外に拡大し襲いかからんとします。ここで夫トマスはなんと家族を見捨てて自分だけさっさと安全な建物内へ逃げ込みます。さいわい雪崩の被害もなく、落ち着きを取り戻したテラスで、家族の雰囲気が一変し、微妙な感情の流れが渦巻き始めます。夫の行動に失望したエバは当然トマスをなじりますが、夫婦の亀裂は深まる一方です。子供たちも父親に期待を裏切られた虚脱感に加え、両親の不和を感じて、自分たちも不安定になるなどエスカレートします。何とか夫と父親の権威を取り戻そうともがくトマスですが、鬱状態に陥り、家族は崩壊寸前です。

実は阪神大震災で同じような出来事があったと知人から聞いています。知人の近所に住む一家で、地震発生時に夫が妻や子供をほったらかして、真っ先に屋外へ避難したというのです。その後の経過は、この映画を観るまでもなく容易に想像がつきます。夫は家族全員から総スカンを喰い、当分口もきいてもらえなかったそうです。「フレンチアルプスで起きたこと」では、トマスとエバ夫婦の努力で一見関係は修復し、平和な一家に戻ったように見えます。しかし、帰宅の旅の途中で見せた妻の行動で、私は決して夫を許していないと受け取りましたが、真相はどうでしょうか。映画の原題「Force Majeure」は「不可抗力」と訳されます。

監督・脚本担当のリューベン・アストルンドの意図する命題は「人間は突然起きた予期せぬ出来事でどのように行動するのか?」だと言います。ハイジャックや船の沈没などの大惨事のあとに多くの生存者カップルが離婚しているというデータがあるそうです。生か死かの極限状態では男性の方が逃げ出して自分を守る傾向があるという研究結果も出ています。そう言えば、2012年の地中海クルーズ船コスタ・コンコルディア号の座礁・転覆事故で、船長が乗客より自身の脱出を優先しました。また、2014年の韓国フェリー・セウオル号転覆事故でも船長がいち早く逃げ出している様子が画像で報道されています。両事件とも男性船長でした。

私たち医療の分野でも「予期せぬ出来事」に遭遇することは稀ではありません。そのような場合には、本能にしたがって行動するのではなく、社会的・倫理的規範に基づいて対応しなければならないことを、この映画から学べます。種々の事態のシミュレーションを繰り返すことで危機管理の精度が上がります。

(2015.10.1)