広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter75. 雨つれづれ

市立芦屋病院 事業管理者 佐治 文隆

酒と涙といえば演歌につきものですが、「酒涙雨(さいるいう)」という言葉があります。「催涙雨」ともいい、7月7日に降る雨を指します。七夕にしか逢えない織姫と彦星が逢うことが叶わず流す涙とも、逢ったのちの別れが辛くて流す涙とも喩えられます。七夕前日の7月6日に降る雨は「洗車雨(せんしゃう)」といって、彦星が織姫に逢うために牛車(ぎっしゃ)を洗う水に擬えています。古人(いにしえびと)もデートの前には洗車したのかと思うと微笑ましくなります。もっとも最近は運転免許を取らない若者が増えているようで、クルマでデートなどに関心のない草食系(絶食系?)男子がいるそうです。ちなみに今年は「酒涙雨」でした。

夜空で星の対極にあるのが月です。中秋の名月が期待されるのが旧暦8月15日で今年は9月27日です。この日雨が降ることを「雨月(うげつ)」、「雨名月(あめめいげつ)」と呼び、雲がかかって名月が観られないと「無月(むげつ)」と称して悔しさを表しています。「雨月」といえば江戸時代後期の読本(よみほん)「雨月物語」を思い浮かべます。全5巻9篇から成る怪異小説集で、序篇の「白峯」から終篇の「貧福論」まで執筆に10年近くを要しています。幽霊、亡霊、怨霊が次々と登場する日本古来の典型的怪異譚ですが、中国の白話小説に原点が求められる話も多いようです。なぜ「雨月物語」と名付けられたかというと、「雨がやんで月がおぼろに見える夜に編成したため」と作者の上田秋成自身が書いています。物語の中でもおどろおどろしい場面の背景に、雨や月が描写されるシーンが散見されます。上田秋成は大坂(大阪)曾根崎の生まれで、大阪、京都を中心に活動しました。「雨月物語」執筆前後に医学を学び、加島村(現、大阪市淀川区加島)で医者を始めたことは、知らない人も多いでしょう。彼の医学の師匠は儒医(儒者であり、医者でもある)だったので、その影響を受けての執筆活動と思われます。

空気の澄んだ秋の月は格別ですが、中でも雨上がりはいっそう美しく鑑賞できます。私の前任地、広島県呉市に地酒で「雨後の月」という銘酒があります。きっと文字通りその「清々しい」飲み心地から命名されたに違いありません。お隣の西条(現、東広島市)は灘、伏見と並ぶ日本酒の銘醸地として有名で、「賀茂鶴」をはじめ九つの蔵元が軒を列ね、毎年10月の酒まつりのイベントは圧巻です。西条と酒米や水源を一にする呉には、「雨後の月」以外にも「宝剣」などの銘酒がありますので機会があれば飲み比べてください。

下戸にとって月見といえば団子です。もともと穀物の収穫を感謝して米粉で作った団子を供えた行事から生まれたものです。月見団子は満月をイメージした真っ白でまん丸なお団子を積み上げるようにして供えます。しかし関西では里芋形のお団子で周りにこし餡をつけた形です。「月にむら雲」をイメージしたものか、食べて美味しいのはこの京風の月見団子と思うのは関西人のひいき目でしょうか。関東風と関西風の月見団子の分岐点が、東海道のどの辺りなのかも興味が持たれます。

(2015.9.1)