広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter66. 丁寧な言葉

市立芦屋病院 事業管理者 佐治 文隆

葉室 燐の直木賞受賞作「蜩(ひぐらし)の記」が映画化され、ヒットしました。藩主の側室と不義密通をした罪(実は冤罪)で10年後に切腹を命じられた武士、戸田秋谷をテーマに、その監視役を命じられた檀野庄三郎の目で描いています。秋谷は一方で藩の歴史(家譜)の編纂を命じられており、限られた生命の期間に完成させねばなりません。寒村に幽閉された秋谷一家と起居を共にする庄三郎が、秋谷の清廉さに惹かれ、潔白を信じるようになる様が、藩政の権力争いや重い年貢にあえぐ農民の一揆騒動を背景に展開されます。役所広司をはじめ出演俳優も適材適所で好演しています。映画は原作に忠実に進行しますが、映像の性格上ダイジェスト版であることは否めません。原作は作者の深い教養をうかがわせる文章と構成で、直木賞の選評でも非常に好評だったそうです。もっとも「主人公らが清廉すぎる」とは、いかにも林真理子らしい批評でしたが。

葉室 燐は、その初作「乾山晩愁」で歴史文学賞、「銀漢の賦」で松本清張賞を受賞、その他直木賞をはじめ文学賞の候補にたびたび挙がっています。作品の特徴は、入念な準備を想像させる時代考証と主題の掘り下げ、ストーリーの巧みな構成、何にもましてこれらを丁寧な言葉を使って表現していることです。デビュー作「乾山晩愁」では日本画絵師の世界を、「銀漢の賦」や「蜩の記」などは江戸時代の藩を舞台にどろどろした政治の世界を、「川あかり」の臆病者の武士と木賃宿の同宿者との交流で見せる人情の世界、短編集「恋しぐれ」では市井の人間たちの微笑ましい恋愛の世界を読者に紹介してくれます。いずれの主人公も真面目一徹なところが共通していますし、丁寧な表現とともに作者の人柄を反映しているように思います。

映画「蜩の記」を観た学生が、「不義密通の意味がわからない」「江戸時代の武士言葉で意味不明のものがある」と感想を述べたそうです。たしかに現代の言葉、とくに若い子たちが使う言葉とはほど遠いものがあり、同じ日本語とは思えなかったのでしょう。言葉を理解するには、その言葉が生まれた背景や時代の知識が必要です。さらに言葉を通して、言わんとする意味を伝えるためには丁寧な説明が必要になります。小説では読み返しも可能ですし、中断して辞書にあたることも出来ます。目まぐるしく進行する映画の限界とも言えます。やはり「読み書き」というとおり、「読書」が必要な所以です。とは言え、「だから近頃の若い子は」と批判することは出来ません。

私たち医療関係者も無意識に業界用語とも言える言葉を、患者さんや家族に使っていることがよくあります。その結果、コミュニケーション不足から意思疎通が出来ず、無用のトラブルが生じることもあります。たとえば、一般市民は「急性期病院」と「療養型病院」の違いをよく理解されているでしょうか。市立芦屋病院は「急性期病院」で、手厚い看護が受けられる体制ですが、長期間の入院は許されません。一方「療養型病院」では在院日数の縛りは緩くなりますが、看護師の数などに限界があります。誰もが好きなだけ入院できて、手厚い看護を受け続けたいのは当然ですが、今の社会保障の財政面からは制度上許されていません。また「延命処置はしないで」と望む終末期患者さんに、ご家族が人工呼吸器の装着を要求する例もあります。人工呼吸器はまさに延命処置なのです。

このような齟齬は、一般市民の医療や医療制度に対する理解が不十分なことと、患者さんや家族に十分納得してもらえるように医療関係者が丁寧に説明できていないために起こります。丁寧な言葉は文学の世界だけではありません。医療の分野でも「ことば」は重要なコミュニケーション・ツールです。そうは言っても、「ことば」にも遊びの要素は必要で、和田誠/糸井重里編「土屋耕一のことばの遊び場」(ほぼ日ブックス)は一読の価値がある楽しい本です。

(2014.12.1)