広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter52. 笑状を診察する

市立芦屋病院 事業管理者 佐治 文隆

大阪大学のルーツは、1838年に緒方洪庵によって開かれた私塾「適塾」です。大阪仮病院、大阪医科大学を経て、1931年に医学部・理学部の2学部で開校した大阪帝国大学は、東京帝大や京都帝大など官主導の大学と異なり、大阪府民の熱烈な活動が帝国議会の反対を押し切った民主導の大学です。第二次世界大戦後、1949年に新制大阪大学が発足する際に法文学部が加わりましたが、この時大坂商人のための学問所「懐徳堂」の伝統が継承されました。「適塾」創設をさかのぼること約百年の1724年創立の「懐徳堂」の精神は、戦火を免れた蔵書「懐徳堂文庫」とともに大学に受け継がれました。

「懐徳堂」を冠に据えた「大阪大学21世紀懐徳堂」(学主 江口太郎副学長)という公開講座シリーズがあります。そのひとつ、「笑状を診察する落語会」が阪大発祥の地、中之島で開催されました。無料整理券がすぐ無くなった人気のイベントです。笑福亭たま、桂文喬、笑福亭福笑の三人がそれぞれ医療にまつわる新作落語で笑いを取ります。阪大病院で新米研修医にいじりまわされる噺、まな板のコイ状態の入院体験をおもしろおかしく見せる噺などです。たま師匠の演目「胎児」では、高座にふつうに座った状態では逆子(さかご)になるからと、座布団を頭に逆立ち状態で産道の胎児を熱演する始末です。終了後、主催者から「産婦人科医としてどうでしたか」と感想を求められ、返事に困りました。

第二部では、久坂部 羊(阪大医学部卒医師、小説家)、仲野 徹(阪大医学部教授)、高島 幸次(阪大コミュニケーションデザイン・センター教授)諸先生の鼎談に、笑福亭福笑師匠が加わり、座談(漫談?)会となりました。久坂部、仲野両先生は同級生で、優等生仲野と落ちこぼれ久坂部の設定で、中之島で過ごした昭和の医学生青春回顧で盛り上がりました。医学部のウラ標本室で見たおどろおどろしい奇形標本の数々、ヤクザの遺体から剥いだ全身倶利伽羅紋紋の刺青皮膚標本、人体解剖実習などの業界裏話をはじめ、「卒業試験はカンニングで」、「○人殺さんと一人前の医者になれん」・・・恐ろしいジョークが飛び出していました。医師仲間の冗談話では珍しくもない内容ですが、素人さんの一般市民はどう思ったことやら。座談会の仕切り役の高島先生も「今の阪大はこんなことありません」と唖然、福笑師匠までがあわてて「これはフィクションですから」と付け加えるくらいで、もっとも顔色を失ったのは懐徳堂学主の江口副学長だったかも知れません。会場の爆笑に包まれ、いい暑気払いが出来た一日でした。

懐徳堂落語会に前後して、立川団春独演会に行きました。こちらは江戸古典落語「子別れ」を約1時間半にわたって、じっくり聞かせてくれました。腕は良いが酒乱の大工熊五郎が、愛想を尽かして息子を連れて出て行った女房と復縁にいたるまでの人情噺です。昨年聞いた「ねずみ穴」もまた人情噺でしたが、さすが「今もっともチケットの取れない落語家」と言われるだけあって、人情噺の語り口のうまさは秀逸の噺家と痛感しました。同時に、いつも出てくる立川談志の思い出を聞くにつけ、偉大な師匠を持った弟子の葛藤も窺えます。

江戸落語に上方落語、古典落語に新作落語が入り乱れる落語ブームの昨今、医療がお笑いの対象となることは、とかく深刻になりがちな病人の気持ちを和らげ、患者さんと医療者の垣根を取り払ってくれそうです。

 

(2013.10.1)