広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter34. 木の葉の切符

市立芦屋病院 事業管理者 佐治 文隆

春の季語に「山笑う」という言葉があります。木々に新芽が綻びる春の山は、新たな生命の誕生を喜んで笑っているように見えるから生まれた表現でしょう。この季節、みるみる成長する若葉に強い生命力を感じます。なかでも切り株や根元の幹から直接出てきた新芽は、蘖(ひこばえ)と特別に呼ばれるだけあって、その生命力に思わず笑みが浮かぶとともに感動すらおぼえます。若葉、青葉の季節は「生命(いのち)」がもっとも身近になる時期かも知れません。

最近、「生命(いのち)」の大切さを深く心に印象づけられたのは、映画「サラの鍵」を観た時です。物語は第二次世界大戦中フランスの親ナチス、ヴィシー政権下で起こったユダヤ人狩りに端を発します。幼い弟を納戸に鍵をかけて隠し、フランス警察に連行された少女一家の悲劇を描きながら、偶々アパートの同室に入居することになった女性ジャーナリストによる少女サラの運命の追求が、現代と過去を交互にフラッシュバックさせて、観客をたたみ込むように結末まで引っ張ります。少女の飽くなき生命への執着と挫折、事実を丹念に追うジャーナリストの私生活、とくに高齢で妊娠し夫に中絶を迫られる妻の葛藤が、「いのち」の重みをメッセージとして伝えています。

人の「生命(いのち)」はいうまでもなく女性の身体の中で育まれます。「生命(いのち)」を受け入れるため、成熟女性には月々定期的な訪問客が訪れます。映画「不惑のアダージョ」では初めて訪問客を得て動揺する少女に、主人公の修道女が木の葉を一枚一枚渡しながら、「少女がお母さんになるための切符のようなものよ」とやさしく語りかけます。「私は切符を使うことが無かったけどね」と続ける修道女に少女が返した言葉「でも貴女はこうして切符を配り続けたわ」にもっとも感銘を受けました。更年期障害に苦しむ修道女を赤裸々に描いた話題作で、ひとつひとつのシーンが女性監督らしいきめの細かい作品でしたが、ここでは木の葉が象徴的に使われていました。ミニシアターで上映後に、脚本も担当した井上都紀監督のティーチイン形式のトークが偶然あって、言葉を交わすことが出来ました。三十代のまだ若い女流監督で、将来が大変嘱望される方と見受けました。

木の葉と言えば、初心運転者に「若葉マーク」を付けることが義務づけられてちょうど40年になります。一方、通称「紅葉マーク」は15年前に75歳以上の高齢運転者の努力義務規定として導入されましたが、5年後に対象を70歳以上に引き下げられました。しかし、紅葉のデザインが枯れ葉に見えると反発を受け、昨年から「四つ葉のクローバー・マーク」に変更されました。2008年から施行されている後期高齢者医療制度も「後期高齢者」の名称に不快感をおぼえた対象者が多いといいます。とかく老人は、老人を指摘されることに敏感に反応します。これは自分が感じる自分の年齢つまり主観年齢と暦年齢の間に差があるためと考えられます。しかもこの差は高齢になるほど大きくなるようです。アメリカの調査では、60代男性で15~16歳、女性では22~23歳のギャップがあったといいます(佐藤眞一著「ご老人は謎だらけ」光文社刊)。日本人の場合それほどの開きは無いにしても、主観年齢が10歳くらい若い人はざらでしょう。かく言う私も・・・。

未曾有の高齢化社会を迎えて、老人行動学が解明したことのひとつは、お年寄りはネガティブをポジティブに変えるように順応していることです。高齢患者の心と身体のアンチエイジングに貢献して、さらにいっそう人生の質を高める医療者であり続けたいものです。もっとも「恋愛に優るアンチエイジングは無いのよ」と言い放った女性もいますが・・・。

(2012.4.1)