広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter155.灯火

市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆

地球の始まりから存在していた火を、ヒト(あるいはその祖先)が支配しはじめたのは30万年以上前のことです。火は暖かさをもたらし、料理を生み出し、明るさ(光)を与えてくれました。光を得る手段として、火を操る道具のランプのプロトタイプは、凹みのある石の上でものを燃やしたことに始まり、約1万年前まで続いたようです。今冬、兵庫県立美術館で開催された「古代エジプト展」で展示されたミイラや副葬品などのライデン国立古代博物館(オランダ)所蔵品でも小さなランプの原型にお目にかかることができました。ちなみにランプ(Lamp)は「輝く」と言う意味のギリシャ語が語源です。

わが国でランプといえば西洋由来の石油ランプを指し、文明開化とともに19世紀後半に日本に紹介されました。石油を火皿に満たしたランプの利便性と明るさは、画期的な出来事であったと思われます。ランプ以前の日本の灯火にも、動物や植物の油脂を灯油に用いたものはありました。動物性油としては鯨、鰊、鰯などのいわゆる魚油が、植物性油としては榛、椿、胡桃などの木の実や胡麻、荏、油菜などの種油が灯油に利用されましたが、動物由来の油は油煙や臭いという欠点があったようです。これらの油は灯台と呼ばれる受け皿や台座の上で灯され、さらに周囲を紙などで覆った行灯へと進化します。行灯はその形状も様々で、据え置き型や携帯用など機能も色々です。ただ種油などを光源とする灯火は驚くほど暗く、しかも種油自体が高価であったので、遊郭などは別として庶民はふんだんに消費することは出来ず、文字通り爪に火をともす様に節約して使っていました。

油を火種に灯台や行灯が用いられていた時代と並行して、植物由来のろうを原料とする和蝋燭も使われました。漆やハゼノキの実を粉にして蒸し、搾ろう器にかけて流出したろうを灯芯に塗って乾かす作業を繰り返し、最後に固めると和蝋燭の出来上がりです。芯には竹串に奉書を巻いてイグサなどを巻きつけます。このような芯のため火力が強くなり、ろうも早く溶けるので芯を整える必要がありました。蝋燭は燭台にさして灯りをとりますが、一口に燭台と言ってもその形や用途は千差万別、実用性の高いものから装飾品と言ってよいものまでいろいろです。蝋燭を火種とする灯りに提灯があります。小田原提灯を筆頭にする箱提灯は古くから存在し、普及型の提灯として弓張り提灯やぶら提灯がありました。また目的により馬乗提灯、高張り提灯、盆提灯などと名付けられたものもあります。基本的に和紙と竹ヒゴで作られる提灯は日本独特の民芸作品と言えるでしょう。

灯油を用いたランプは神戸や横浜などの開港に伴い日本に入り込み、明治初期に全国に普及しました。ランプは他の輸入製品同様たちまち国産化の対象となり、明治10年ごろには部品も含めて国産ランプが作られました。しかし西洋ランプ、とくにヨーロッパのランプは装飾性に優れたものが多く、日本人に驚きと刺激を与えたようです。台座に金属を用いて安定性を増し、彫刻を施したり、絵画を描いた花瓶型にするなど芸術性の高い製品もみられました。またガラス細工が進歩したヨーロッパから、セード、油壺、台座にガラス加工を凝らした豪華なランプも輸入され、国産ランプ製造に少なからず影響を与えたと思われます。

これら内外のランプを神戸在住の赤木清士氏が蒐集・展示していた「北野らんぷ博物館」を関西電力が継承して旧居留地に「神戸らんぷミュージアム」を開設、あかりの歴史と文化を広報してきました。企業メセナ活動の好事例でしたが、本年2月に閉館となり、メセナ活動の限界かと口惜しい思いでおりました。その後、所蔵品が「日本のあかり博物館」(長野県)に譲渡されたと知り、ほっとした次第です。

(2022.5.1)