広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter147.芸術と科学

市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆

 指揮者西本智実がプロデュースする演奏会が、「サプリメントコンサート〜脳科学が誘う音楽の不思議〜」と銘打って、ザ・シンフォニーホールで開かれました。「音楽と科学の融合」を理念に掲げて、音楽科学者として「音楽の力が科学的に解明され、医療として心身ともに優しい治療が受けられる」ことを目指す西本智実の目標は、音楽療法の科学的分析なのでしょうか。公演の第一部では、彼女の指揮でイルミナートフィルハーモニックオーケストラによるドビュッシー「小組曲」、ベートーヴェン「田園」第一楽章、R・コルサコフ「熊蜂の飛行」、J.シュトラウス「雷鳴と電光」が演奏されました。それぞれがポピュラーな心癒される曲ばかりです。演奏の合間に医師とのトークもなされ、科学的な解説が加えられます。その中で西本さんは「音楽を聴くと曲によって匂いや色を感じる人がおり、脳との関連を裏付ける根拠である」と言い、彼女自身は匂いを感じることはないけれども色彩を感じているそうです。

 

音楽に限らず、五感の一つが刺激されると他の感覚にも波及されることはありますし、刺激を受けた脳内での反応と容易に想像されます。芸術はその大いなる刺激の源です。今夏、神戸市立美術館で「東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展」が開催されました。唐招提寺はご存知のように唐の高僧鑑真大和上によって開山され、和上は幾たびかの苦難の末に来日したときには視力を全く失っていました。後世、全盲の和上の霊を慰めるため、東山魁夷画伯が障壁画を描き唐招提寺御影堂に納めました。年に数回しか公開されず、ましてや門外不出と思われるこの障壁画が今回神戸で展示されるのは、御影堂の全面改修があってのことで、奈良まで遠出しなくても鑑賞出来る好機とばかりに美術館を訪れました。

 

障壁画は全68面が公開されて、まず和上が実際に見ることが能わなかった日本の山景「山雲」と海景「涛声」、次いで中国の名山を題材に「黄山暁雲」、和上の故郷揚州の水郷風景「揚州薫風」、山川絶景の「桂林月宵」をそれぞれ見ることが出来ます。私はこれらの障壁画から音が聞こえるように感じました。「山雲」にみられる滝からは轟々と滝壺に向かって流れる音が聞こえてきます。「涛声」では左右に拡がったパノラマから寄せては返す波の音を感じます。同様に「揚州薫風」では風の音、「桂林月宵」では川の流れが耳に届くように思われます。まさに音楽で色彩を感じるように、絵画では脳内で視覚が聴覚を刺激しているようです。鑑真和上が現存されていて、御堂に座して障壁画をご覧になれば如何ほど喜ばれたことかと想いを馳せました。

同時期、神戸ファッション美術館で「吉村芳生〜超絶技巧を超えて〜」展が開かれました。こちらは東山魁夷の画風のように、心と想像力など感性を動員して鑑賞するのではなく、「超絶技巧」というだけあってのリアルそのものの細密鉛筆画で驚かされます。一年365日の新聞紙面をモノクロで精密にスケッチして、各々に自画像をオーバーラップするなどは気の遠くなるような作品です。一方、コスモス、たんぽぽ、ばら、ケシなどの群生する花はカラフルにきめ細かく大きなキャンバスいっぱいに描かれています。前者からはインクの匂いが、後者からはそれぞれの花の香りが漂ってくるように感じました。もっとも、ひたすら金網のフェンスの約1万8千個の網目を描写した幅17メートルにわたる巨大な画面からは、感性に乏しい私は約70日を費やした労作に驚くばかりで、音も匂いも感じることが出来ませんでした。

(2021.9.1)