広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter130.「美しい」を求めて

市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆

人間は「美しい」が好きです。「美しい」の対象は、生き物、工芸品、自然等々、あらゆる事象におよびます。「美しい」は人間関係に由来する感情で、男女を問わず異性を「美しい」と思うのは、たぶんに性(欲)的感情が入っていて、必要かつ合理的なのかもしれません。古代ギリシャでは「合理的なものは美しい。美しいものは合理的である」として、「黄金分割」を美の基準としました。確かにミロのヴィーナスは黄金分割の比率に従って彫刻されているかもしれませんが、だから「美しい」というのも何か釈然としません。宝飾品なども「高価である」「希少価値がある」という理由で、「美しい」と評価しているようにも思えます。見事なスリーポイントシュートなど、ごく稀に訪れる自然状態にも人は「美しい」という言葉を与えます。かの東大駒場祭のポスター「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうがが泣いている 男東大どこへいく」でイラストレーターとして注目された橋本治は、『人はなせ「美しい」がわかるのか』(ちくま新書)で「美しい」を哲学し、「美」をめぐる人生論を述べています。

「枕草子」の清少納言は「春は曙(あけぼの)」などいろいろな現象を「いとをかし」と愛でています。一方、「徒然草」の兼好法師は、「源氏物語」や「枕草子」を追随しながら、清少納言とは異なる視点で逆接的に「をかし」を捉えているようです。時あたかも桜の季節ですが、美しい花を見てもすぐもぎ取ろうとせずゆっくりと鑑賞する人が多いでしょう。きれいな花はいつまでも咲いていてほしいと願います。しかし「花は散るから美しい」のです。とくに桜の花は雨風に弱く、すぐに散ってしまうからこそ他の花に比べてよりいっそう美しく感じます。これが「逆説の美学」です。

日本最古の伝統演劇「能」にはこの「逆説の美学」が散見されます(「能とは何か=逆説の美学」buddha-sekigekka)。14〜15世紀に観阿弥・世阿弥が完成させたこの舞台芸術は、舞、音楽、演劇、物語から成り、能楽では余分なものを全てそぎ落とし、現実を極小化することで、逆説的に無限の世界を生み出します。主役となるシテを例にとると、豪華で華美な衣装、美術品ともいえる能面を身につけます。しかし、豪華な装束は身体の自由な動きを制限し、能面は視野を極端に狭めますので、自己を失い現実を離れた異次元に入り込みます。これらが能の観念である「幽玄」と「妙」を生み出します。(「無の美学 能と幽玄の美」La Boheme Galante)

日本人でもやや退いてしまう伝統的古典芸術の世界に、それも能楽師の妻として飛び込んだ外国人女性がいます。レバノン生まれの梅若マドレーヌさんは高校生時代に戦乱の祖国を逃れ、日本、イギリス、アメリカなど各国、各地を転々と移住し、好きな数学を生かしてコンピューター・サイエンス研究を続けていました。この間知り合った若き日本人能楽師、梅若猶彦と恋に落ち結婚、超保守的な伝統芸能のしきたりにとまどい反発しながら、能の魅力を国内外に発信し続けるスーパーウーマンです。(「レバノンから来た能楽師の妻」梅若マドレーヌ、岩波新書)

マドレーヌさんは日本人と結婚した姉マリーローズさん一家と一時期芦屋市に住み、神戸市にあるインターナショナルスクール、カナディアンアカデミーに通学していました。のちに夫となる猶彦さんは同級生だったそうです。日本滞在中にマドレーヌさん達はスイスの外交官ダニエル・アヴィオラさんと親しくなったそうです。彼は奇遇にもレバノン・ベイルートに転属し、かの地ではマドレーヌさんの実家へよく遊びに来て親交を深めていたとのことです。在日本スイス総領事を務めた親日家のダニエル・アヴィオラさんは現在も関西に在住し、神戸(外国)倶楽部などのイベント企画に参加するなど国際交流に活躍されています。友人の紹介で私も彼と名刺交換をしたこともあったので、マドレーヌさんの本にアヴィオラさんの名前を見つけてうれしくなりました。

(2020.4.1)