広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter90.見上げてごらん

市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆

リオ・デ・ジャネイロにおける日本選手の活躍で沸き立ったオリンピック・イヤーは閏年(うるうどし、leap year)でもありました。閏年は太陽年(365.242189日)と太陽暦の差を埋めるために4年に一度設けられています。同様に法令、通信等に使われる協定世界時(UTC)と天測航法に使用される世界時(UT1)のズレを補正するためには閏秒(うるうびょう、leap second)があります。最近では2015年の6月末日に1秒追加されました。このように私たちの日常生活に不可欠な時間の流れは、より正確さを求めて微調整を加えながら暦として表わされます。暦には現在一般的に使われる太陽暦(グレゴリオ暦)以外にも太陰暦、太陰太陽暦等々の多数の暦法が用いられてきました。これらの暦はいずれも太陽や月などの天体を観測することで作成されました。

天文学はもともと暦を編むための暦学として発達し、古典的には天体の位置や運動を研究する観測天文学でした。日本の天文学は6世紀頃に始まり、時の朝廷が百済に暦博士の派遣を要請したと日本書紀に記載されます。古代の天文学は大陸それも中国から輸入されて一千年以上受け継がれました。江戸時代に初めて日本独自の暦として貞享暦(じょうきょうれき)が作られ、その作成にはアマチュア研究者の渋川春海が貢献し、幕府に新設された天文方というポストに就いています。渋川春海は星座研究にも没頭し、ガリレオ・ガリレイによる望遠鏡発明のわずか5年後から日本に輸入されはじめた望遠鏡を天体観測に最初に使用しました。その後、西洋天文学の輸入に伴い、天文学は暦作成だけでなく測量の分野にも利用され、伊能忠敬の日本地図製作にも役立っています。

しかし、人工衛星が飛び、宇宙ステーションに長期間滞在して実験が出来るばかりか、地球以外の惑星からも試料を採取して持ち帰る時代になり、今や天文学は天体物理学と言えます。とはいえ、天体の観測は今の時代も天文学の王道でしょう。国立天文台も国内にとどまらずハワイに世界最大級の一枚鏡による「すばる望遠鏡」を設置するなど、天体物理学だけでなく観測装置の共同開発や観測データの共同利用などにも力を入れています。京都大学にはわが国の大学天文台として2番目に出来た花山(かさん)天文台があります。80年以上の歴史があり、口径45cmの屈折望遠鏡で京大附属天文台の主力施設でしたが、京都市街の都市化や山科地区の発展とともに観測環境の悪化からその地位を1968年新設の飛騨天文台に譲っています。

花山天文台主催の観望会に参加申し込みをしてから1年以上、実に7〜8回雨天・曇天中止の憂き目に遭った末、ついに念願がかないました。昭和初期のレトロな建物とドームの中に、これまた年代を感じさせる望遠鏡が鎮座しています。天文台長の柴田教授の講義の後、いよいよ観望です。ゆらゆら揺れる急勾配の階段を上ってまず月を、次いで土星を観察しました。付属の小望遠鏡で位置決めをして主役の望遠鏡で見ます。コンピューター制御全盛の時代にすべて手動です。移動する天体の追尾には錘の重力を駆動力とする重力時計が使われていて、ドームのスリットから目標を追います。当たり前かもしれませんが、月のクレーターがくっきりと見えました。半月だったので明るすぎる満月よりクレーターはよく観察できるそうです。土星は「わっか」が感動的でした。写真でしか見たことのない特徴的な環は神秘的です。スタッフから「火星は赤いだけで見ても面白くありませんよ」と言われましたが、おねだりして火星も見せてもらいました。

上弦の月の下方に輝く土星と火星、眼下に広がる京の夜景、そしてクラシックな天文台の佇まいはロマンチックそのものです。星空を見上げ壮大な宇宙に思いを馳せる機会を得て、ミクロな分野、遺伝子レベルでの研究を追求している医療・医学と真逆(まぎゃく)の世界を垣間見ることができました。

(2016.12.1)