広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter89.昭和はさらに遠く

市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆

平成28年も余すところ2ヶ月たらずとなり、今年の重大ニュースは何だろうなどと考えてもおかしくない時期です。中でもオリンピック関連ニュースとならんでこの夏大きな話題になったのは、今上天皇の「生前退位」を強く示唆する「お気持ち」の表明でした。世論は天皇のお気持ちに好意的で、超高齢社会を迎えて当然の対応という感触です。政府も肯定的なニュアンスですので、約二百年ぶりに生前退位が実現する可能性は高いように思います。天皇が退位されると平成に代わって新しい元号が生まれます。昭和はますます遠くなっていきます。

そうでなくても昭和を回顧する書籍等が最近増えたように感じるのは私だけでしょうか。単なる懐古趣味では片付けられない理由もあるようです。昭和元年12月25日から昭和64年1月7日まで、一口に「昭和」といっても第二次世界大戦を挟んで60年余りあります。いま昭和ブームといわれる対象は昭和30年代を中心とするようです。これは団塊の世代が感受性の高い年頃を過ごした時期であること、また日本が高度経済成長期にあって勢いのある時代だったからでしょう。

昭和の時代には街中でもたくさんのスズメを見ました。最近はカラスやハトがとってかわったようです。本当か嘘か知りませんが、フランス人はハトを見ると「美味しそう」と呟くらしいです。野生のハトの糞害は困りものですが、昭和30年代半ばまで伝書鳩が実在しました。電信の発達していない昭和の初めには約3千羽の伝書鳩が新聞社で活躍しましたが、30年後にはさすがに十分の一に減りました。それでも山や離島のニュースは鳩に頼り、専任の伝書鳩係が世話したそうです。本社へ帰巣中に迷ったり、飛んでいる最中にタカなどの野鳥に襲われる危険もあるため、通常は5、6羽でチームを組み、念のため同じ記事や写真を2羽ずつに分散して運ばせたといいます。東京の有楽町センタービル(通称有楽町マリオン)の14階、朝日新聞記念会館には伝書鳩の記念碑とともにブロンズの鳩が2羽いるそうです。

庶民の通信手段としては電話が最も長い歴史があり、ケータイはもちろんスマホも広義の電話といえるでしょう。昭和30年代には昭和を代表する黒電話が登場しました。そう、黒い本体に丸型のダイヤルが付いた電話機で、なんと建て替え前の芦屋病院でまだ使われていました。ダイヤル通話が普及する前は交換手を介して電話をつないでもらいました。交換手の多くは女性で、明治時代は良家の子女が採用されたといいます。大阪市福島区に阪大病院があった頃は、近くの日本電電公社の交換手たちを多数見かけましたが、昭和40年代後半にはさすがにいなくなりました。

電話交換手同様に消滅した職業の一つは路線バスの女性車掌(バスガール)でしょう。当初は現在のキャビン・アテンダント(CA)並みの人気でしたが、過酷な仕事内容であったのとバスのワンマン運行とともに姿を消しました。ボンネットバスが徐々に姿を消したのも昭和30年代で、リヤエンジンバスが主流になりました。ところでバスの乗り口が東京と大阪(関西)で違うことをご存知ですか。東京では前から乗って運賃先払いで後ろから降りることが多いようです。一方、大阪では後ろから乗って、前から降りるときに料金を払う方式が主です。私は降車時に運転手さんに「ありがとう」と声をかけるようにしています。

アメリカのウーバー・テクノロジーズはオンライン配車サービス大手として有名で、今や「ウーバー(Uber)」は英語で動詞として通用するそうです。ウーバー社が次に狙うのは、自動運転車と配車アプリのドッキングで、実現すると誰もがどこからでも自動運転のタクシーやバスを利用して好きなところに行けるようになります。バスガールどころか運転手も歴史の教科書で見る職業になってしまうかもしれません。

(2016.11.1)