広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter82.大作曲家たち

市立芦屋病院 事業管理者 佐治 文隆

音楽的素養のない私ですが、音楽を聴くのは好きでジャンルを問わずコンサートによく出かけます。最近もフェスティバルホールで開かれた「世界まるごとクラッシック2016~笑う門には福来たる~」で、休日の午後のひとときを過ごしました。作曲家をはじめピアニスト、プロデューサー、作家など多彩な才能を標榜する青島広志が、トークを交えてオーケストラを指揮するクラッシックの入門コンサートです。ほぼ満席の聴衆には子供連れの家族も多く、そのせいかプログラムの漢字はすべてルビが振られています。曲目の一つ「ショパンのワルツ」は、誰もが一度は聴いたことのある華麗なる大円舞曲です。フレデリック・フランソワ・ショパン(1810年~1849年)は「ピアノの詩人」と呼ばれるだけあって、その表現や様式は様々で美しい旋律に彩られています。ピアニストにとってショパンの作品は大変挑戦的で弾くのが難しいそうです。それは弾くキーが右から左へと鍵盤上を駆け巡り、その上幅も狭くて小さい黒鍵へ跳ばなければならないパターンが多いなど、ピアニスト泣かせといいます。その後たまたま芦屋病院のマチネーコンサートで、振袖姿のお嬢さんによるショパンのバラード1番ソロ演奏を直近で見る機会がありました。縦横無尽に飛び跳ねる指先を見て、なるほどと納得しました。

ショパンと同時代を生きた作曲家にローベルト・シューマン(1810年~1856年)やフランツ・リスト(1811年~1886年)がいます。リストもまた「ピアノの魔術師」と呼ばれましたが、シューマンは才能があったにもかかわらずニックネームを持っていません。シューマンはピアニストになるため猛訓練をして、両手指の腱を切ってしまったそうです。彼は発想を転換し、自分の師匠の娘でピアニストのクララを娶り、自らはもっぱら作曲に専念して妻に弾かせたといいます。ただシューマンの作品には楽譜に「最高の速さで」と注釈をつけた後に「もっと早く」と書き入れてみたり、窓から飛び降りても痛くないようにアパートの下の階に移るなど説明のつかない奇行がみられました。それどころか何度も飛び降り自殺を図るなどの行為もありました。

シューマンは実は梅毒罹患者で、繰り返す奇行の果てに、1854年に自ら病院に入院したそうです。最近エボラ熱やジカ熱などが話題になっていますが、人類の歴史は感染症との戦いであったと言っても過言ではありません。ペスト、コレラ、天然痘、インフルエンザなどとともに梅毒も世界を揺るがした感染症です。15世紀末以降のヨーロッパは20世紀初頭に特効薬サルバルサンが出るまで、梅毒に席巻されました。この間、いろいろな医薬が治療に用いられましたが、水銀もその一つで数百年にわたり使用されました。水銀は軟膏、吸入、水溶液として内服などいろいろな形で投与されましたが、当然その毒性は強烈で水銀中毒が続出したのは想像に難くありません。当時の梅毒は確かに死に至る病でしたが、シューマンの直接死因は梅毒治療に用いられた水銀中毒ではないかとも言われています。

フランツ・シューベルト(1797年~1828年)もまた梅毒治療を受けていて、シューマン同様に水銀中毒で命を縮めてしまった可能性があるとされています。水銀中毒がなければ「未完成交響曲」は「交響曲第7番」として完成していたはずです。過ぎたるは猶及ばざるが如し、医薬品は常に「諸刃の剣」です。

(2016.4.1)