広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter60. タカラヅカ

市立芦屋病院 事業管理者 佐治 文隆

半世紀近く前、1968年から69年にかけて、全国の大学を中心とする学園紛争が燃え上がりました。丁度その時期に阪大産婦人科医局に入った私たちを迎えたのが医局長のK先生で、数々の要求(今から思えば無理難題もありました)を突きつける新米医師たちと真摯に向き合い、解決に努められました。名医局長のK先生が大阪労災病院に新設された産婦人科の部長に乞われて赴任されたおり、阪大病院で1年間の臨床研修を終えた私は、お願いしていちばん下っ端の部下に加えていただきました。K先生からは産婦人科臨床はもちろんのこと、医師としての心構えなど多くを学ぶことが出来ました。新しく診療科を立ち上げる苦労やマネージメントなどを身近に見ることが出来、私自身が管理職になったときに、「K先生ならどうされるだろう」と考えて行動したことも少なからずあります。

ひょんなことでK先生が若い頃から宝塚歌劇のファンであることを知りました。お住まいも宝塚でした。「一度連れて行ってください」とおねだりすると、産婦人科の医師全員を宝塚大劇場に招待され、その夜は自宅で奥様の手料理をご馳走になりました。ご自分の青春時代の歌劇の話を楽しそうに語る先生の笑顔は、亡くなられた後の今も私の脳裏に刻まれています。

今年、宝塚歌劇は開演100周年を迎えました。大劇場では、1月の星組「眠らない男・ナポレオン―愛と栄光の涯に―」に始まり、花組「ラスト・タイクーン―ハリウッドの帝王、不滅の愛―」「TAKARAZUKA∞夢眩」、月組「宝塚をどり」「明日への指針―センチュリー号の航海日誌―」「TAKARAZUKA花詩集100!!」と、いずれも気合いの入った100周年にふさわしい公演が続いています。4月5日の記念式典やその前後の日には、歌劇団OGや往年のトップスターが出演し、華やかな舞台がテレビで何度も放映されました。ミーハーの私も、「今年はヅカだっ!」とばかりに、さっそく観劇に出かけました。大劇場はK先生とご一緒した時以来です。意外だったのは、客席に年配の男性が少なからず見受けられたことです。レビューはさすがに華麗そのもので、1世紀にわたり観客を魅了し続けてきただけのことはあります。月組公演では、宙組トップスターたちの特別出演もあり、プラチナチケットを手に入れたと羨ましがられました。何にもまして圧巻だったのは、100人のロケットダンスの迫力と音楽学校100期生39人の初々しい口上でしょうか。この歳にして、ヅカにハマりそうです(笑)。

私の中学・高校時代の恩師H先生は、中勘助「銀の匙」を教材に国語授業を行った名物教師で、退職後にマスコミで「伝説の国語教師」として大々的に取り上げられたので、ご存じの方もあるでしょう。H先生はまた熱烈なヅカファンで、それも還暦を過ぎてハマられたようです。当時の年賀状には自作のイラストとともに、いつもタカラジェンヌとの交流を書かれていました。それもそのはずで、歌劇団機関誌「歌劇」に随筆「宝塚讃歌」を連載されていたと聞きました。先生は昨夏101歳で亡くなられましたが、年末に開かれた「偲ぶ会」には多数の教え子が集まっただけでなく、元タカラジェンヌたちも参加し、「すみれの花咲く頃」を合唱し、在りし日の先生を偲びました。

恩師K先生もH先生も、きっと天国で宝塚歌劇ファンクラブの熱心な会員になられていると信じます。

(2014.6.1)