広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter55. 馬の脚

市立芦屋病院 事業管理者 佐治 文隆

私自身はまったく経験がないのですが、公営ギャンブルといえば競馬、競輪、競艇が相場でしょう。もっとも競馬を愛する人は、貴族のスポーツだと言って後者二者とは一線を画しているようです。たしかに世界最古の競馬場を持つイギリスでは、サッカーに次ぐ観客動員数を誇る国民的スポーツです。かたやパリ郊外のロンシャン競馬場で行われる凱旋門賞は観客の華麗なファッションでも有名です。2013年には三冠馬オルフェーブルが遠征し、惜しくも2位にこそ入りましたが、日本調教馬の優勝は悲願に終わっています。

競走馬は騎手も大事ですが、なんと言っても脚力が命です。競馬用語にも「脚」がらみの言葉がよく出てきます。曰く、「差し脚」「末脚」「ジリ脚」「二の脚」「利き脚」「決め脚」「脚抜き」など枚挙に暇ありません。かほど馬は「脚」が本命なのです。あっ、本命も競馬用語ですね。

芥川龍之介にずばり「馬の脚」という作品があります。1925年(大正14年)初出の綺談で、1916年の作品「鼻」に匹敵する奇想天外なストーリーなので、ご存じの方も多いでしょう。大正時代の北京在住の商社マン忍野半三郎は脳溢血で急死し、あの世の入り口で手続きを踏みます。ここで頓死は人違いであったことが判明しますが、既に日を経ていたため脚が腐敗しています。天国(地獄?)の担当者は替わりの脚が見つからないからと言って、馬の脚をつけて彼をこの世に送り返します。ここから半三郎の悲喜劇が始まります。移植された脚は主人公の意志と無関係に本能の赴くままに行動します。蒙古産の馬だったらしく、蒙古の春風で運ばれた黄塵を感じると興奮し、あげくに交尾を求めて駆け回る始末です。ついにはせっかく復活したのに、行方をくらましてしまいます。失踪した夫を待つ妻の許に、見違えるようにやつれた半三郎が現れますが、ズボンの下から毛だらけの馬の脚を露出しています。そして蹄の音を残して、今度こそ姿を消してしまいます。異国を舞台にした何とも幻想的な短篇で、ここに見られる「再生」や「狂気」をテーマに評論や研究書が生まれています。

馬が人の脚になるのとは逆に、人が馬の脚になるのが歌舞伎など芝居に見られる馬です。張り子の馬を二人で被って、前脚と後ろ脚になります。下手な役者の代名詞に「馬の脚」が使われ、大根役者の語源も「馬の脚」が大根を連想させたとする説もあります。「馬脚を露わす」は隠していた悪事や本性が露見することですし、とかく「馬の脚」は高く評価されないようです。名匠成瀬巳喜男の監督・脚本作品「旅役者」(1940年)では、後ろ脚5年、前脚10年と「馬の脚」といえども、その研究に励む旅芸人の悲哀を取り上げています。馬の脚がいなくては芝居も成り立たないわけですし、脚だけで演技し、舞台を盛り上げることも可能ですから、「馬の脚」だからと言って一概に馬鹿には出来ません。

さて午(うま)年の今年、芦屋病院も駿馬を目指して駆け抜けたいところですが、それには「馬の脚」をはじめそれぞれのパートが調和して力を発揮することです。市民からの励ましと温かいムチをお願いいたします。

(2014.1.1)