広報誌HOPE Plus

事業管理者のつぶやき

Chapter104.今なぜゴッホ

市立芦屋病院事業管理者 佐治 文隆

小説の手法には、全くの虚構を作り上げていくものと、史実あるいは実在の人物に絡めて、想像を加えたり架空の人物を付け加えるやり方があります。後者に卓越した手腕が見受けられる小説家の一人が原田マハで、キュレーター(curator:美術館・博物館等の学芸員であるが、より専門性と権限の強い管理職)の経験を生かして、傑作をものにしています。キュレーターそのものを主人公にした「楽園のキャンバス」では、作者が勤務したことのあるMoMA(The Musium of Modern Art、ニューヨーク近代美術館)の若い学芸員が、スイスの大富豪で美術コレクターの所有するルソーの幻の名作の鑑定に自ら飛び込み、謎に巻き込まれていく様を取り上げています。作品の真贋を巡ってミステリー仕立てでストーリーは進み、ルソー研究の第一人者である日本人女性も主役として登場し、読者は美術史の世界に引きずり込まれます。

「ジヴェルニーの食卓」は四つの物語から成ります。表題作「ジヴェルニーの食卓」ではクロード・モネを、「うつくしい墓」はアンリ・マティスを、「エトワール」はエドガー・ドガを、「タンギー爺さん」はポール・セザンヌをそれぞれテーマにした連作です。しかし、小説ではモネの義理の娘ブランシュ、マティスの召使いとなった少女、ドガに傾倒したアメリカ人女性画家メアリー・カサット、タンギー爺さんと呼ばれた画材商の娘が、各々の目を通して巨匠たちの人生を描きます。著名な芸術家の周辺にいる人物の視点で描写された非凡な巨匠たちの姿は、フィクションを忘れてあたかもドキュメンタリー映画を観るようです。ところで「うつくしい墓」にはマティスだけでなく、南仏に移り住んだ晩年のパブロ・ピカソも一瞬ですが姿を見せます。「楽園のキャンバス」でもピカソがやはり重要な役割を果たすシーンがあります。私の推測ですが、原田マハにとってパブロ・ピカソは巨匠中の巨匠として別格の存在ではないのでしょうか。

新作「たゆたえど沈まず」(幻冬社 2017年刊)はフィンセント・ファン・ゴッホをテーマにしています。美術界で印象派が台頭し、いわゆるジャポニスム(フランス語Japonisme:ヨーロッパに見られた日本趣味)がもてはやされだした19世紀後半のパリを舞台に、フィンセントと画商グーピル商会に勤める弟テオドルス(テオ)・ファン・ゴッホとの兄弟愛と相克・葛藤を縦軸に、パリで活躍した実在の日本人画商林忠正にその弟子加納重吉を登場させて、巧みに絡めることによりファン・ゴッホという天才画家の姿を浮き出しています。のちに代表的な作品と言われる名画の制作される様を、あたかも秘話のようにストーリーを展開させます。そして物語はフィンセントの有名な自傷行為ー自分の耳を切り取り、馴染みの娼婦へ送りつけるーを境に、破局、終局へと突き進んでいきます。その後も奇矯な行動は止まず、各地の療養院や精神病院を転々とした彼は、一方では後になって高く評価される狂気の画家の傑作を数多く描きあげています。ついに拳銃で胸を撃って不遇な生涯を終えるのですが、小説では画商重吉が形見分けで得た絵の裏から見つけた、テオ宛のフィンセントの最後の手紙が紹介されます。

昨秋公開された映画「ゴッホ〜最期の手紙〜」(原題Loving Vincent)は、フィンセントの死の謎に迫り、銃を撃ったのは本当に本人なのかと自殺説に疑問を投げかけます。謎解きの面白さに加えて、この映画のすごいところはその作成手法です。フィンセント・ファン・ゴッホの描いた実物の油絵をモチーフに登場人物や背景が絵画の状態で動き回ります。「動く油絵」の制作に携わった世界各国の125人の画家の中には、西宮市出身の画家古賀陽子さんも参加しています。動画制作のために使われた油絵は実に62,450枚といわれ、キャストの名優による実写部分とCGアニメーションの合体が今まで見たことのないユニークな体験をさせてくれました。

浮世絵をはじめジャポニスムに影響を受けたフィンセントの展覧会「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」が京都国立近代美術館で開催中です。小説に映画に加えて展覧会と、なぜかブレークしているファン・ゴッホです。

(2018.2.1)